エジプト Ⅰ

ほぼ1年ぶりの投稿。

お世辞にも“神様ありがとう”とは言えないことばかりが続いてしまったこの1年。
気がつけば年号も平成から令和に変わっていた。
またブログを書く気になったのは今年3月に行ったエジプトのおかげであり、私の尻を叩いてくれた友人のおかげである。
すでに帰国後3か月も経ってしまったけど、エジプトへ愛を込めて!

これは旅行記ではない。
これからエジプトへ行こうと思っている人のガイドには事足りず、ポストカードのようなお約束のアングルで撮った写真もない。
載せる写真も、掘り下げる部分もかなり個人的だ。
これは私の単なる18%グレーの記憶 (注1)である。
(ここではカラー写真のみ使用、銀塩モノクロ作品は制作中)

(注1):ブログトップページ“タイトルについて”を参照ください

 <ナイル川クルーズ>

今回5泊のうちの4泊がクルーズ船での宿泊。水が怖くて泳ぎの苦手な自分がなんでわざわざクルーズ船の旅を選んだのか…
旅を申し込んだときは、心身ともにかなり疲弊していた時期であったため、もうどうにでもなれ!と心のどこかで思っていたのだ。
(とはいえ、万一沈没して溺死…なんて結末はやっぱり嫌だ!と思っているもう半分の自分が、出発間際にネット通販で子供だましのような浮き輪を購入していた)

クルーズ船は思いのほか快適だった。(けして豪華客船ではないが)部屋は広いし、水もお湯もストレスなく使えるのには正直驚いた。
ヨーロッパのちょっといいホテルだって水回り環境は劣悪なところが多いのだから、それが船ともなれば…もう水回りは諦めるしかないと腹をくくっていただけに、幸先の良いスタートである。
ビュッフェ料理も美味しく、毎日微妙にメニューが違うため全然飽きはこなかった。

 

手前のトマトソースっぽいのは、ターゲンという煮込み料理で、この日の食材は里芋と牛すね肉を煮込んだものだった。茶色い塊はタアメイヤという料理でハーブ入りのそら豆のコロッケ。その場で揚げてくれるのでアツアツで美味しかったのだけど、日本に帰るまでいったい何を揚げた料理だったのかわからないで食べていた。

料理の事だけでも書きたいことが山ほどあるのだけど、先が長いので先に進もう。

 

何よりもビックリ!はナイル川の色

 

 

 

 

 

 

部屋の窓からみたナイル川の色。ホントにこんなだった。

ドロ川のような茶色くてこわーーーい色をした川を想像していた。ところが、目の前を流れるナイル川は…なんと、エメラルドグリーーーンだ!

夕暮れ時、釣りをしている若者たち。(昨日私が食べた白身魚もこの川で獲れたヤツだろうか、、、)
船室から望遠レンズ越しにしばらく二人を眺めていた。

穏やかで優しい時間が流れていく。

 

 

 

<ある午後の風景>

クルーズ船の屋上。これからのんびりティータイム。

と、思いきや、何やら船の下から大きな声が!

大声の主は観光客にラグマットやテーブルクロスなどを売りに来た売り子たちだった。船にロープを括り付けてあるため、ボートはうまいことずっと船について来る。
商売上手な売り子、値切る観光客。やがて交渉は成立!

いったいどのように物とお金を交換するのか見ていると、見本品を何点か丸めてビニール袋に入れたものを屋上デッキにいる観光客に向けて
下から上へ投げる→ 受け取った客は自分の欲しいものだけをそこから抜く 返品の品と一緒に代金を入れボートに落とすというシステムだ。

売り子は慣れたもので商品を完璧に船内に投げ込むことができた。これが実に見事なのである。
(走っているボートの上に立ちながら、4階建ての船のてっぺんめがけ、
垂直に物を投げる場合に必要な、ニュートン力学上の物質量と加速度とはいかなるものか?加えて、この柔軟な筋肉、強靭な肩、バランス感覚、インナーマッスル!
もしオリンピックに垂直投げのような競技があればきっとメダルは彼の物だ)

問題は客のほうだ、下に落とすほうはそこまでのテクニックは必要としないものの、私が見物していたわずか30分ぐらいの間にも、上から落とされたビニール袋は売り子の手をかすめ、

ナイル川にドボーン!エメラルドグリーンの流れの中に消えていった。

それでも売り子は“あれは神様の取り分だ”とか何とか言って笑ってやり過ごし、またすぐに次の客の為に商品を投げるのだった。

なんだ、このめげない精神は!

ネットショッピングが当たりまえのこのご時世に、なんとも平和でかつリスキーなアナログ商売である。
ここにはPCも電子マネーもない。商品を上に投げる→キャッチする→現金を入れ、下に落とす→キャッチする。That’s all。実にシンプルだ。
瞬時の信頼関係だけで成り立つこのビジネスは、なにかが心地よく、そして楽しく、人を引き付ける。気がつけばデッキは野次馬でいっぱいだ。
誰かが間違って川に落とすんじゃないか…ドキドキしながら、無事キャッチされれば拍手が起きる。もはや一種のアトラクションである。

その様子の一部始終を“本当はちょっと参加したい、でもプライドが許さない”というジレンマと闘うドイツ人観光客らが
“フン、なんか有色人種らが騒いでやがる”的な冷めた眼差しで、お茶をしながら静かに見ている。

そういう自分も始めは冷やかし半分で見ていたのだが、白地にブルーのエジプト柄がプリントされた可愛いテーブルクロスを見た瞬間、“あっ、あれ欲しい!″と思わず口に出てしまった。
そして交渉が成立し、いよいよ私にも現金を入れたビニール袋を落とす時が来た。絶対に川に落とす自信があった私は、隣にいたどこかのツアーの手慣れた添乗員さんに変わりに落としてもらい、無事に事なきを得ることができた。

値切って15ドルでゲットしたそのテーブルクロスは、今はうちのリビングで永住権を得てナイル川に流される心配もなく、平和に暮らしている。

夕陽に染まるナイル川 その1

夕陽に染まるナイル川 その2

<ルクソール>

エジプト最大級の神殿カルナック神殿。午前中あいにくの逆光(涙;)大昔はナイル川がこの近くまできていて、この広場のあたりが船着き場だったらしい。

カルナック神殿にいた、たくさんのスフィンクスたち。かつては3キロ先のルクソール神殿まで参道があり(今なお発掘中)このスフィンクスたちがずらーーーっと両脇に並んでいたそうな…

こちらが後から行った3キロ先のルクソール神殿側のスフィンクスたち。
発掘中で立ち入り禁止ロープが張られていた(ロープ越しから3キロ彼方のカルナック神殿方向にむけて撮影)

大列柱室 ラメセス1世が建築を始め、セティ1世が引き継いで、ラメセス2世が完成させたという高さ21m、直径3m越えの134本の柱。そこに我が物顔で一息ついてるオジサン。

そして、踊るオバサン。

ギリシャのパルテノン神殿に行った時の事、神殿の周りにはロープが張り巡らされていたのだが、写真を撮っているうちに足のつま先がほんのちょっとロープ内に入ってしまった。
すると…ピピピピピーーっと笛を吹きながら、凄い剣幕で制服を着たおばさんがこちらに向かってやってきて、私の足の先を指さして、「ロープからはみ出るんじゃない!」らしきことを言って怒るのだった。
まさか笛を吹かれたのが自分だとは思いもしなかったから、あの時は本当に驚いた。

それにしてもどこで私のつま先がロープからはみ出す瞬間を見ていたのか、そしてその後はどこへ消えて行ったのか、あの笛吹きオバハンは今もって謎である。
アクロポリスの丘を降りる頃にも、遠くでピピピピピーーっと笛は鳴り響いていた。
今日も私のようにどこかの国の観光客が理由もわからず怒られているのだろうな。(笑)

それに比べ、エジプト観光地のセキュリティーの緩さ(いえ、懐の深さ)は、好きにならずにはいられない。
ここでは3500年以上も前の世界遺産にだって平気でおっさんが腰掛けちゃいますから。
でも誰も何も言わない。
壁画やレリーフだって皆ベタベタ触りまくり。でも誰も怒らない。

何かのご利益があるとかで…みんなで触りまくりの黒光り。

が、しかし怒らない代わりに監視人のふりをした妙な人がいたるところに現れる。
その人たちは写真を撮ってくれたり、写真映えするポイントを教えてくれたりするのだが、最後に必ず手を出してチップをせがまれることになるので要注意だ!
でも冷静に考えたら、1ドルあげてもそれはそれでこちらも得られるものがあるのだからいいのかな…とも思う。

笛を吹かれてガミガミ怒られるよりはずっと気分がいい。

☝そう、ちょうどこんな感じのニコニコしたオジサンがうろうろしている。

ギリシャやローマの遺跡もそりゃあ凄いけど、パルテノン神殿よりルクソールにある神殿のほうが断然古いうえに、当時からエジプトは高さでも世界一の石造建築物を造れていたのだから、比べたらなんだけどやっぱエジプトって凄い!そして今の世でもその当時の迫力を間近で見て触れることができるのだから素晴らしいとしかいいようがない。

写真14 ルクソール神殿第1塔門
正面右側のオペリスクが無い!
現在パリのコンコルド広場にあるオペリスクがそれなんですと!返してけれ~。

この第1塔門の写真、撮影時にはまったく気がつかなかったが、ガイドブックやネットでよく見かける同じ写真と何かが違う。
何か変だ!と、よぉ――く見ていたら気がついてしまった。

確実に人(というか像)が増えている!ガイドブックなどに載っている写真では中央入口部分の2体のラメセス2世座像と一番右の立像しかなかったはずだ。
でも今回私が撮ったこの写真は2体増えているではないか!

そういえば増えた像はなぜか色が黒っぽい気がするのは気のせいか?(一番左と右から2番目。もしかして、じつは作っちゃったの?)
いや、新たに掘り起こして見つかったとしか思えない(てか、そう思いたい)

どのサイトで写真を検索してみても3体しか写っていないものばかり。
ってことは発掘されたのは最近なのか?!(ドキドキ)

あと残りの長方形の枠を見ると3枠空いている。

左側のオペリスクで隠れているけどあそこの後ろにも1枠あるはずだから、全部で4枠だ。全部揃ったら9体像だ!
凄い、それ見てみたいなー。

そんでもって、あとはパリのコンコルド広場からオペリスク引っこ抜いてくれば完璧だな!

 

ツタンカーメンと王妃のアンケセナーメン、仲良し夫婦座像。

写真には写っていないが、足元にあったカルテューシュ(よく見かける楕円形の枠の中に名前が書かれているヒエログリフ文字)は何とラメセス2世になっている。のちの王が勝手に削ってちゃっかり自分の名前を刻むことはよくあったらしい。背後はアンケセナーメンがツタンカーメンの背中に優しく手をまわしている。カワイイな。

<メムノンの巨像>

メムノンの巨像。紀元前27年の大地震後にひびが入り、夜明けになるとうなり声をあげていたそうだが、修復後は静かになったらしい。

王家の谷に向かう途中で突如現れる巨像。アメンヘテブ3世(新王国時代第18王朝ファラオ)が立てた自らの像。土台含め22mの高さがある。実際に見ると笑っちゃうぐらい本当にデカい!建設時は頭の上に王冠も載っていたと吉村作治先生は何かに書いていた。
背後に見えている白っぽい山がこれから向かう王家の谷だ。

<王家の谷>

ここには新王朝時代の歴代ファラオが埋葬されている。

ルクソール西岸(ナイル川をはさみ、陽が昇る東側は生者の都、陽の沈む西側は死者の都となっている)ファラオたちは盗掘を恐れ、川岸から離れた砂漠地帯の岩山に穴を掘り、その奥深くに墓を作った。
これまでに64基の墓が見つかっており、見学できるのは一部の墓のみだ。でもこの場所は
エジプトに行ったら絶対に行かなくてはならない場所の一つだと思う。

墓に続く通路内のヒエログリフの壁画やレリーフには圧倒されることだろう。何時間でも見ていたくなるが、後ろからどんどん人が押し寄せてくるので、ゆっくり観賞できなかったのが残念でならない。

絶対にまた来るぞ!とその場で決心したのだった。

王家の谷を地底から断面で見るとこんな事になっています!という模型の一部分だ。

ツタンカーメンの墓ナンバーはKV62.(たぶん中央の一番小さくポツンとあるのがソレだったと思う)若くして亡くなったため、ほかの王の墓の規模から比べると極端に小さいが、それゆえに盗賊が墓の存在に気づかず、棺を始め、装飾品、金銀財宝がそのまま残っていた唯一の奇跡の墓である。

何千年も前の人が造った美しいレリーフや壁画の数々。

あの岩山の下がこんなことになっていると誰が想像できる?凄すぎて言葉を失い、いろんな思いが頭をかけ巡る。

ブログはこの先、エジプトⅡへ続く・・・

to be continued…