タウシュベツ川橋梁

コロナ禍の第2波と第3波の狭間、日本中が一瞬だけ平和を取り戻したかのように見えた10月、行くなら今しかない!と意を決して念願のタウシュベツ川橋梁に行って参りました。

帯広から車で北へ約90分、大雪山国立公園の一画に、その美しい橋はありました。この橋はいったい何なのか…まずはそこからお話を始めたいと思います。

【士幌線とアーチ橋】

昭和14年(1939年)、十勝北部の農産物や森林資源の搬出のために、帯広から終点の十勝三股までの約80キロを結ぶ士幌線が開通しました。戦後復興の頃、この一帯は林業の一大産地として目覚しい発展をとげましたが、ああ栄枯盛衰…森林資源の枯渇と国道の開通により昭和62年(1987年)敢えなく廃線となりました。

この士幌線の形跡は、今は十勝平野ではほとんど見られなくなってしまいましたが、糠平の山林には、ローマの水道橋を彷彿させるコンクリートアーチ橋(鉄道橋)や士幌線の名残が多数残っていて、付近を散策していると山林の紅葉の中に美しいアーチ橋が突如として現れます。

その美しさはまるで印象派の絵画のようでもあり、いま自分が令和2年(2020年)のコロナ禍真っただ中にいることなどすっかり忘れてしまいそうな、それは時空を超えた体験でありました。

(車窓から見たアーチ橋と糠平の紅葉)
(車窓から見たアーチ橋と糠平の紅葉)


(自然の中にすっぽり溶け込み、静かな歳月を送っているアーチ橋。散策中に発見!)
(士幌線の線路跡。最盛期はこのあたりに千人もの住民が暮らしていたそうです。)

【タウシュベツ川橋梁】

(この林を抜けると突然視界が開け、ついに橋とのご対面となります。)
(昇ったばかりの太陽を浴びて、静かに佇むタウシュベツ川橋梁)

今回の撮影目的、このタウシュベツ川橋梁(正式名はないらしい)も、士幌線の開通に伴い造られた鉄道橋のひとつですが、昭和30年(1955年)に、水力発電用の人造ダム湖“糠平ダム”が建設され、この橋梁周辺は湖底に沈むことになってしまいました。

士幌線は湖を避けるように新線が建設され、橋梁上の線路は撤去されましたが、橋梁自体は湖の中に取り残されることに!

(橋梁自体を撤去するには莫大な費用がかかってしまうからなのか??アーチ橋の当時の建築技術を歴史遺産として残そうとしたのか?そこは勉強不足ですみません、わかりません)

とにかく、こうしてこの美しい橋梁はポツリと湖の中に取り残されることとなります。

糠平湖は人造のダム湖なので、その年の降水量、季節や発電によって劇的に水位が変わります。例年であれば、10月頃には橋は完全に水没し、真冬になれば厚さ70センチの氷に覆われ、(ここはマイナス20度から30度にもなる寒冷地)コンクリートにしみ込んだ水は内部まで凍てつき膨張。内からも外からも橋は凍結の害にさらされます。

その後、1月頃から発電に伴う放水で水位が毎日20センチほどずつ下がり始め、徐々に湖面に再び姿を現し、春先には橋梁全体が見えてきます。その後はまた徐々に水位が増してきて…と、この繰り返し。

この循環が65年間続きながら現在に至っているわけです。そう、過酷なこの環境下で存在し続けているタウシュベツ川橋梁は、近くで見るとじつはボロボロです。(橋の完成年からは81年)

では、修復や補強をすればいいかというと、そう簡単ではないようです。行ってみて初めてわかりましたが、ここはとんでもない奥地で、シカやクマが普通に平和に暮らしているような場所です。修復するための重機などが簡単に運び込める場所ではなく、費用・財政面でも極めて厳しく、現地のかたの話によると、敢えて保存措置を取らずに自然の成り行きに任せ、在るがまま朽ちていく姿を遺産として観察していくのだという事でした。

この地に生きる人々の哲学が垣間見えた言葉でした。

その話を聞いて尚更にこの橋がとてもいとおしく美しく思えました。

すぐさま“諸行無常”…という言葉が浮かびました。

この世の森羅万象のすべては絶えず変化し、永遠に不変なものはない。だから(この橋しかり)何物にもしがみついてはいけないという仏法の教えを。

普段の生活でも何物にも囚われないで生きていくことができたなら、怒りや悲しみも無く、生きていくこともそんなに大変ではないのでしょうが、なかなかそれが出来ないのが人間ですね…考えさせられます。

(当時伐採された木々の切り株。水没後の凍結、そして水が引いた後は太陽光にさらされる。この繰り返しにより、殺菌作用が働き、歳月が経っても木は当時のままけして朽ちることはないそうです。)

この鉄道橋は長年湖に沈んでは、地上に上がり、また沈められの繰り返しを65年。これはある意味なかなかの拷問です。それでも威風堂々と逞しくも美しくタウシュベツ川橋梁は今日も糠平湖の中にしっかりと存在しています。

例年であれば、私が行った10月中旬頃はとっくに水没していますが、今年は雨量、雪量ともに極端に少なく、ダムの水位が上がってこないため、まだ橋梁の全景が見えているとの情報がありました。

期待を胸に、現地のNPOのツアーガイドセンターに水位状況をメールで何度も問い合わせては、ハラハラドキドキ。しかし、なかなか水位は上がって来てくれません。どのタイミングで現地入りするか、日程に余裕があれば考える余地もありましたが、コロナ禍でそんな悠長なことは言っていられるわけもなく、もう出たとこ勝負で撮れるものを撮ってくる!と腹をくくりました。

理想は橋梁が6割ぐらい水没している姿を撮りたかったのですが、実際は写真のとおり。水位はやっと橋のふもとが隠れたぐらいです。正直メチャメチャ悔しかった。でもベストタイミングではないにしろ、この10月中旬にまだ橋が水没せず(こんなことは20年ぶりらしい)その姿を紅葉と共に見ることができたことは、超ラッキーなのだと思う事にしました。そういう意味ではあまり出回っていない珍しいタウシュベツ川橋梁の写真が撮れたかもしれません。

この橋梁を長年撮り続けていらっしゃる写真家がいることを現地で知りました。その方がどういう方なのか存じ上げないのですが、この橋にかける想いたるや幾ばくのことか!水量の変化によって、橋のアーチ部分の湖面への映り込みが変貌する姿を撮り続ける価値は、同じ写真家であれば容易に想像ができます。対して、ただの通りすがりの旅人である自分が、この橋の持つ本質をカメラに捉えることなど不可能なのは百も承知ですが、1番美しい早朝の光、たかだか1時間における太陽の角度との闘いではありましたが、必死でシャッターを切りました。

次回はタウシュベツ川橋梁の番外編として、軽いスナップショットなどを折り混ぜ、糠平周辺をサクッとご案内したいと思います。

参考資料:NPOひがし大雪自然ガイドセンターアーチ橋ツアーフライヤー、ウキペディア