一昨日のブログでお知らせのとおり、黛一凜 (まゆずみ いちか)はAkiko Sato自身でありますが、一人の写真家と言えど、毎度テーマや被写体が同じなわけではなく、例えばひとつの洋服のデザイナーズブランドが用途やニーズによっていくつものブランドラインを展開していくように、写真家も撮る被写体や使用するツール、様々な状況によっては、名前の付いた引き出し(カテゴリー)的なものがあっても面白いと思いました。
スナップ写真を撮る場合は、とても個人的で精神上はリラックスしたワクワク状態であり、行為自体は被写体を客観視した主観的行為つまりは第三者としての俯瞰であると思うのですが、一方の禅写真(前頁参照)はそれらとは対極で、まずは呼吸を整え、被写体(存在)と対峙する、1対1の真剣勝負からのみ生まれるものであり、そこには一切の客観性は存在せず、勝負を終えた後に最終的に心地の良い達成感やカタルシスを得られるといったものであります。
一番の違いは完全なるパーソナルか、他者(今そこにある存在)との遭遇によってなされるものかという点にあるかと思います。
名前の由来について
黛という字は読んだとおりそのままの意味で、広辞苑によると眉の墨だそうで、昔の女性が墨を薄めて眉を描く眉墨のことです。まさしく18%グレー(注1)を彷彿させる名字です。他にも青々とした木々や樹木という意味もありました。
ちなみにこの名字は写真家の古屋洋一郎氏(注2)が付けてくださりました。
本当は古屋氏が黛という字の響きが好きで、カッコいいからいつか何かで使おうと思っておられたそうですが、心優しい古屋氏はいい名前が決まらず行き詰っている私に譲ってくださいました。(笑)ステキな名字をありがとうございました。
下の名前の一凜は、いちりんと書いていちかと読みます。一枚の写真の中に真剣勝負に通じるどこか凜としたものが感じられる写真を撮りたい!という想いから、こちらは自分で付けました。
黛 一凜を作ったことで、自分で作品に対してのハードルを上げてしまった感は否めませんが(笑)、禅の如く、無駄を省き、邪念を捨て、趣き深くそして儚く、静寂の境地に至るまで幽玄の美を求めてこれからも精進してまいりたいと思います。
注:1)ブログトップページ“タイトルについて”を参照してください
注;2)古屋氏が掲載されている雑誌YOKOHAMA SEASIDERから抜粋http://www.yokohamaseasider.com/ja/yoichiro-furuya/
三溝 芳春
黛 一凛さんの作品は、黛の如く樹木を中心としたブランド展開ですか?
akiko 投稿者
三溝様
確かに黛という字には、青々とした山や樹木といった意味があるようですね。
前述のとおり、黛一凜は被写体から発せられるエネルギーとそれを受け止める私自身のエネルギーとの
対峙によって生まれる写真でありますので、樹木に限らず、人でも物でもなんでもエネルギーのようなものが
感じ取ることができるものすべてが撮影対象と考えます。
何故かこれまで私が惹かれ、カメラを向けたくなってしまうものに樹木関係(笑)が多いのは確かでして
今後も結果的に樹木写真が並ぶことになるおそれはありますね。(笑)
ってことは、やはり三溝さんがおっしゃる”黛”という文字の意味はピッタリなのかもしれないです。
ありがとうございます。