AkikoSato或いは“黛 一凜” というマインド

AkikoSato或いは“黛 一凜” というマインド

前回の平和なブログ”エジプトⅠ~Ⅲ “から1年後、世界がこんなことになると誰が想像できましょうか。 外出もままならないゴールデンウィーク、せめて大自然に漂う空気感のようなものだけでもお届けできないかと思い、昨年撮影した北海道の写真(未公開)をアップいたします。 ブログを見てくださっている皆様のほんの一時でも心の癒しになれたら幸いです。

この度新たな試みとして“黛 一凜”(まゆずみ いちか)という引き出しを作ってみました。 “黛 一凜”は私の中に存在するある一定の共通したマインドによって撮られた写真の集合体です。

“黛 一凜”の写真はマインドフルネス的な要素、つまりは逸る気持ちで瞬時の シャッターチャンスを捉えるスナップ写真とは異なり、もっとも心を落ち着かせ、集中力を持続しながら、注意深く被写体と向き合い、シャッターを押すその瞬間に全力を注いでいる状態で撮影したものです。この時の五感はかなり研ぎ澄まされていなければなりません。

以前、曹洞宗のお寺さんで座禅合宿に参加したことがありましたが、その時に体験した座禅のカタルシス効果に近い感覚を、写真を撮るという行為の中で体現できたのが黛 一凜を誕生させたきっかけです。 ここで仮に黛一凜 =“禅写真”と名付けてみます。

禅写真とは、被写体から発せられる目には見えないエネルギーのようなもの、訴えかけてくるものと、スタンバイしている撮影側の心技体(および覚悟のようなもの)とが一致して初めて成立するように思います。 これまでの私のブログ写真の中では、「三陸ロケ」の奇跡の1本松や「神宮熊野神社カタルシス」の銀杏の木などが同じ状態で撮ったものですが、すべてが自然相手とは限らず、お仕事でお世話になっている能楽師辰巳満次郎氏の撮影時も同様です。

満次郎氏が発する集中力、想像力、表現力それらすべてを完全に受け止める覚悟を持って撮ることで、はじめて1枚の写真が出来上がります。

じつは単純なことで、相手から発するものを受信し、自分自身が媒体となり写真に出力するという、(イタコ的写真術と言っちゃえばわかりやすいですが(笑))

自分の力だけでは撮れない被写体エネルギーとのコラボ作品を黛 一凜というAkiko Satoの中の引き出しのひとつとして誕生させることにいたしました。

以後どうぞお見知りおきのほどよろしくお願いいたします。

【次回は“黛 一凜”という名前について】