<三陸ロケ> 

奇跡の一本松

言わずと知れた3.11の大津波から生き残った、陸前高田のあの一本松である。
いつかあの一本松に会いに行きたいなあ、という漠然とした気持ちがあり、機会をうかがっていたのだけれど、地震からまる5年が経ち、6年目に突入した今年、ついにその機会が仕事という形でやってきた。

ロケバスの中から遠くのほうにぼんやり見えた一本松は、周囲の復興工事の盛土や資材の中に埋もれて、すぐに見失ってしまう。
あたり一帯はまだまだ復興途中であり、見渡す限り工事現場である。わかりづらい路を何台もの大きなトラックとすれ違いながら、ようやく地震後に設置されたという大駐車場に到着。車を置いて迂回しながら歩く事10分。
突然一本松がポツンと視界にあらわれた。

まずは遠景からのショットをカメラに収め、津波が来る前の七万本の松が生い茂る松原を想像してみる。うーーーん、なかなか想像ができない!
そこは日本百景にも指定されていた景勝地だったはずなのだが・・・(堤防が出来ていて、後ろにあるはずの海さえ今は見えていない)
今、目の前にあるのは、そこで起こった事実と震災前や震災直後とも全く違う現実だけ。
その現実を一本松は身をもって容赦なく私に語り掛けてくるのである。
「私:一本松」の1対1の関係性を表すために、松は私の真正面、フレームのド真ん中に置いてみた。
ファインダー越しに、ずーーっと松を見つめているうちに、胸が締め付けられ、泣きたくもないのに涙が溢れてくる。そして私は敬意を込めて静かにシャッターを押した。
 
徐々に一本松に近づいてみると、太陽がほぼ松の真上に来ていた。
ハッと気がついた。これ、見上げて撮ったら、思い切り逆光になっちゃうじゃん!
頭の中で思考がグルグルと、もの凄い勢いで回っている。(人物がらみのショットはどうしよう。。。シルエットになってしまう!)
でも最近私はパ二くった時の術を持ち合わせるようになっていた。それは「開き直りの術」というものだ。
この日、この時間に私はここに来ることになっていて、その時の与えられた光で写真を撮って、とっとと帰れ!と神様が言っているのだ。そもそも相手は太陽だ、ジタバタしたところで勝ち目はないのだ。
(というわけで、素直にここは逆光で撮りました!見出しの写真と下の写真がそれ)

震災後、地元の人々はあの大津波に耐え一本だけ残ったこの松を必死で守ろうと保護したが、その想いも届かず、
松は根が腐りついには枯死してしまった。
そこで多額の費用がかかっても、どうにかモニュメントとして残したい派と、そんな無駄な費用をかけている場合じゃないという反対派とに分かれ、議論に議論を重ね、ようやくこの状態に落ち着いたということだ。
幹を防腐処理し、心棒を入れて、枝葉も複製。出来上がった枝葉は以前と向きが違うだの、紆余曲折ありながら、ついに一本松はクールなサイボーグ松としてみごとに蘇ったのだ。
これについてはいまだに賛否両論あるのだろうけど、どんな形でもこの一本松を残してよかったと思える日が必ず来ると思う。いや、来てほしい。
ここを訪れる人は、人それぞれ何かしらを感じ、何かを持って帰るだろう。
器は1度枯死しても、魂は宿ったまま今もそこにあるのだ。
これぞまさしくクールJapanではないか!

今日も陸前高田のあの場所で、みんなの復興や希望の象徴となって一本松は立ち続けている。
頑張れ!奇跡の一本松!